大阪高等裁判所 昭和42年(う)330号 判決 1967年5月26日
被告人 河本勇雄
主文
原判決を破棄する。
本件公訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人太田忠義、同増井俊雄連名作成の控訴趣意書(第二点及び第三点は包括して量刑不当を主張するものである旨公判において釈明した)ならびに弁護人林三夫作成の控訴趣意書各記載のとおりであるから、これらを引用する。
一、太田弁護人及び増井弁護人の控訴趣意第一点について
所論の要旨は、原判決は常習性の認定について事実を誤認し、又は暴力行為等処罰に関する法律一条の三の解釈適用を誤つたものである、というのである。
よつて記録を精査し原判決挙示の証拠を検討して案ずるに、挙示証拠中被告人の司法警察職員及び検察官に対する各供述調書ならびに医師黒丸正四郎作成の精神鑑定書に基き、本件犯行に至る被告人の心理的推移過程を考察すると、被告人の性格は元来真面目で小心な内向的性格であつて自己の欲求不満を享楽等の手段により外向的に発散させいわゆるストレスを解消するということのできない傾向のものであるところ、昭和三九年及び四〇年の両年にわたり折柄の経済不況期に在つて被告人の勤務していた神戸工業株式会社の関係会社、代理店等の経営建て直しや取引先に対する債権の回収等のため社命により懸命に奔走して疲労が累積した結果ノイローゼ気味となつていた矢先に、昭和四〇年暮頃煙草の火による晴着魔の記事を新聞紙上で見、かつ晴着魔の取締計画を警察が樹てている旨の新聞記事をも読んで、被告人としては自分でもこんなことをすれば抑圧された気分が一掃されスーツとするだろうしまた世間にパツと騒がれたら気がスーツとするであろうと思つたが、本件犯行の初日である昭和四一年元旦に長田神社に初詣でをしその境内でゴムスポイドであやつる角力取り人形の玩具を売つているのを見て、ヒントを得、これを購入してゴムスポイトにインクを吸込ませてそれを指で圧縮し若い婦女子の晴着を汚損しようと思い付いて本件犯行に及んだものであることが認められる。
そして被告人の検察官に対する自供によれば、「正月三日間に無茶をして脱線してやれという気持が強く働いていて、一月四日からは再び会社の仕事に追われ且つ悩まねばならないので、インクを晴着にかけるのは三日間だけで止めるつもりでいた。四日から仕事が始まるとそんなことをする気持の余裕も起らないし時間的余裕もないから四日以後にインクをかけるようなことはできなかつたと思う」というのであつて、前記のような被告人の性格、精神的疲労及び異常な緊張状態並びに被告人が本件以前に前科、非行歴が全くなく本件と同種の毀棄の習癖を疑わせるような行動が全く見当らないことから察すると、右供述はあながち自己をかばうための弁解とは解しがたく、無視できない真実性を具備しているものと思料される。
そうすると、被告人は原判示のように五回にわたり犯行を重ねており、最後の犯行である一月三日の小玉郁子の晴着を汚損した直後現行犯逮捕されたことが犯行に終止符を打つていることを念頭に置いて見ても、被告人の本件犯行は昭和四一年正月の三日間に偶々発現したいわば一過性の性質のものであつて生活環境の改善、規範意識の覚醒により比較的容易に治癒しうるものであると考えられ、被告人が器物毀棄を反覆する習癖を有するものと認め得ないことは所論のとおりであり、被告人を暴力行為等処罰に関する法律一条の三所定の常習毀棄罪に問擬することはできないものといわなければならない。(原審で取調べた全証拠を検討しても、右判断を左右するに足る資料はない。)
従つて原判決が被告人に対し常習器物損壊罪の成立を肯認し、右法条を適用したのは、事実を誤認しその結果法令の適用を誤つたものというべきであつて、それらの誤は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
よつてその余の各論旨である量刑不当の主張に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所はさらに判決することとする。
ところで本件については原判決別紙一覧表の各所為について刑法二六一条の器物損壊罪の成立することは明らかであるが、右の各罪については同法二六四条により告訴を待つてこれを論ずべきものであるところ、右一覧表1乃至5の各被害者(衣類の所有者)は何れも本件起訴の日である昭和四一年一月一四日以前に検察官に対し、それぞれ先きに為した告訴を取下げていることは記録に徴し明らかであるから、本件公訴は結局起訴条件が欠缺していることに帰するものといわざるを得ない。よつて本件公訴は刑事訴訟法三三八条四号により判決を以てこれを棄却すべきものとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 江上芳雄 木本繁 山田忠治)